○「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻みつける。」 (イザヤ書49の15~16)
「いのちの水」誌2012年5月号〝手のひらに刻み付ける愛〟より引用
人間の本当の不幸とは、病気や事故、あるいは貧困ですらない。それは神の言葉を知らないことである。それゆえにこのように繰り返し強調して言われている。
けれども、このように刻みつけるということは、人間の側のなすべきことで終わるのでない。
神がその愛のゆえ、信じる者を決して忘れないことをあらわす象徴的なこととして、その手のひらに刻みつけてまでして覚えて下さるという。
現代の人も、何かを忘れないために、手のひらに書いておくという場合がある。
神が愛するものをどうしても忘れることがないようにと、手のひらに刻みつけるという。
大多数の日本人は、残念なことに神の愛どころか唯一の神がおられることすら信じない状態であるが、このイザヤ書の著者は、神がその愛するものを覚えて手のひらに刻むその愛をはっきりと感じ取った。それは特別に神の愛を啓示された体験であったゆえに、このように記したのである。(文 T.YOSHIMURA)
