神様のわざとしての自然

 これは、山を少し登った所にあるわが家のフジバカマ(植栽)にやってきて蜜を吸っているアサギマダラです。

この蝶は美しく、しかも2千キロという長大な距離を海、山を越えて飛来していくという異例の能力を持つ蝶なので、多くの人に関心を持たれています。

 先日、県南の家庭での聖書の学びを終えての帰途、道の駅で見つけた鉢植えのフジバカマを購入して夕方に帰宅、家の庭に置いていたところ、その翌早朝から、このようにアサギマダラが来て、一心に蜜を吸っていたのです。

一時は5匹が来ていて、しかも、朝から休みなくずっと夕方まで、この花からほとんど離れず、時折周辺をひらひらと飛んでは再びこの花に戻って蜜を吸い続けるーという状態でした。

そしてその翌日もまたさらにその翌日もアサギマダラの来訪は続いて、3日間ほどは毎日観察を続けることができたのです。

以前から、11月になってわが家の周囲に自生しているツワブキの黄色い花が咲くと、アサギマダラが時折飛来してくることはあっても、5匹も、しかも1日中とどまっているということは、前例のないことでした。

 昔は、万葉集の時代に、秋の七草として、詠まれたことでわかるように、野山にごくふつうに見られたようです。

「萩の花 尾花 葛花 なでしこが花 をみなへし また藤袴 朝顔が花」(山上憶良・万葉集巻8の1538) (なお、ここでの朝顔の花というのは、キキョウと推測されています。)

 極微量の化学物質を感知する特異な能力、弱々しく見える羽に2千キロも風雨に耐えて飛んでいくという力、そうした神秘をまとったこの蝶の背後に、そうした能力を与えた神の力がいかに大いなるか、また繊細なものかー天地を創造された神の全能の一端を思ったのです。

〝今日のみ言葉〟より引用。

 ヒガンバナは、緑の最も濃い9月に時期を定めていっせいに野草とは思えないような華麗な赤い花を咲かせるゆえに、また葉を見せずに咲くというほかの多くの草花とは異なることもあり、また人間には有毒なリコリンという成分を含むということなどから、特に昔から知られてきた花です。有毒成分を含むといっても、冬に美しい花をよき香りとともに私たちに見せてくれるスイセンもヒガンバナ科であり、やはり同じリコリンを持っています。

 マンジュシャゲとも言うのは、サンスクリット語で、マンジュサカという言葉があり、それは「赤い花」、「天上の花」を表すことから来ているといいます。

 私の子どものころは、ヒガンバナに対する偏見、間違った考えがあり、さわってもいけない、などと言われたものですが、それはまったく根拠のないことです。昔は植物に対する正しい知識がなかったため、こうした間違った言い伝えが未だに残ってしまっているのです。

 ヒガンバナの球根は深く土中に入り込んでいて、移植ごてなどがないと採取できないものですが、付近の畦道などから採取して庭に植えると毎年鮮やかな花を咲かせてくれます。

 ヒガンバナの独特の美しさ― とくに緑一色の山野に咲く姿はほかに類のない光景を生み出すものであり、初秋の美しい彩りとなっているゆえに、この花も神の特別な被造物の一つとして、愛好するようになりたいものです。

〝今日のみ言葉〟より引用。

 これは、我が家のものです。ゲンノショウコは、古来有名な薬草で、「現の証拠」とかきます。これを煎じて飲むと、すぐにその効果(なおった証拠)が現れる、というので、この名があります。  詳しい薬草の書物によれば、つぎのように説明されています。

 「古来下痢止めの妙薬として広く応用されているもので、その効果は実に理想的といっても過言ではないくらいである。腹痛、胃痛、赤痢、疫痢に、おどろくような効用があり、常に胃の弱い人はそれを常用すると最も適当なものとされている。その他、煎じて服用すると魚肉の中毒、心臓病、風邪などにも、奇効がある。また、これを濃く煎じた液を切り傷、腫れ物に用いると切り傷などはその痕を残さないほどに効果がある。」(薬用植物事典168P 福村書店刊による)

 このような多くの効果がある薬草ということですが、その花も、白いものと赤紫色のものがあり、可憐な美しさを持っています。このなかまのうち、四国の高山地帯(例えば剣山周辺の大体標高1500メートル以上の山地)には、シコクフウロという花があり、夏には、美しい薄紫のやや大きい花をたくさん咲かせて目をひきます。

今日のみ言葉〟より引用。

 

(写真・文ともT.YOSHIMURA)