このシロツメクサという野草は最も広く知られている野草の一つと思われます。時々みられる四葉のクローバーも愛好されることもあり、子供たちにも親しい植物です。シロツメクサとは、白い詰め草 の意味で、江戸時代の後期にオランダ国王か徳川の将軍に贈られたガラス器のまわりに、この牧草の乾燥したものがクッション材といして詰められていたことで、その後も壊れやすいものを守るための材料として用いられたということです。 昔はガラス製品はとても貴重なものであったし、長期の船旅での破損を防ぐための材料として日本に入り、後になってアカツメクサとともに牧草としても輸入されて各地に広まったと言われています。
アカツメクサのほうは、シロツメクサよりも大きく、徳島県など暖かい地方では、野生のものはわずかしかみられませんが、シロツメクサはよくみられます。アカツメクサは、北海道などの寒いところではたくさん道路際にも見られます。
どこにでも見られる野草なので、とくに愛好するという人は少ないと思われますが、この地味な庶民的な花に、よき香りがあるので心を惹くものがあります。
人間は、老年になると外見はたいてい美しさが衰えてきます。しかし、そこに どこかキリストの香りを持ったといえるような人がいます。そのような人たちはただ存在するだけで、周囲によきものを静かに提供していると思われます。
シロツメクサの蜜を吸うためにきたこのチョウはシジミチョウの仲間で、地味な色のものが多いなかでとくに目立つ種類です。私が小学校のころは、たくさん周囲にシジミチョウがいて、いろいろな種類を昆虫採集のときに標本にしたことを思いだします。このベニシジミも当時から私に親しいものでしたが、最近はわが家の周囲で少なくなっています。
蝶の仲間は、世界で2万種類近くいて、そのうちシジミチョウの仲間は、その4割ほどにもなるほど種類が多いということです。 チョウも花のように美しい色合いを持つのが多く、創造のわざの不思議さを感じさせてくれるものです。 しかし、その幼虫はこのチョウとは全く別の生物かと思われるほどにちがったもので、毛虫やワラジムシのような気持のよいものではない姿を持っています。このように全く異なる美しい姿に変容するゆえに、ハンセン病で長期にわたる苦しみののちに、身体を大きく損なわれた人が、復活後の自分がチョウのように美しくされ、自由にとびまわる姿を思い描いて俳句にしたのを印象深く読んだことがあります。 私たちもたしかに、汚れた土の器ですが、復活のときには、主イエスのような栄光のすがたに変えていただけるという大きな希望を与えられています。昆虫の変容もそうしたことの象徴的なこととして感じます。使徒パウロも、「蒔かれるときには、卑しいものでも、輝かしいものに復活し…」(Ⅰコリント15の43)と言っているとおりです。
〝今日のみ言葉〟より引用。
Lonicera Japonica(学名)
緑一色の木々の中から、純白の花びらとが目立つこのスイカズラは、香りも特に心惹くものです。花の姿は私たちに創造の秘密を語りかけるような感があります。この香りは、心をしずめ、うるおすような、sweet な香りです。あるアメリカの植物図鑑にも、Flowers very sweetly scented (花は、非常にスウィートに香る)と説明がされています。
英語名は、 honeysuckle(ハニーサックル)といい、「蜂蜜を吸う」という意味です。この花びらのもとを吸うとほんのりと甘く、子供のときにも吸った記憶があります。
原産地は、日本や韓国、中国で、ヨーロッパには1806年に伝えられ、アメリカにも早くから持ち込まれて、アメリカ東部では、野生化して、森林や低木にからみついて、その香り高い花を咲かせているということです。
草木は数千もあっても、このような香りのよいものは、少数です。 聖書には、「キリストを知る知識の香り」という言葉があります。(Ⅱコリント2:14) それは宣べ伝える人によって、世界の各地にもたらされていったのです。キリストご自身が最高の霊的な香りだと言えるでしょう。そこから、あらゆる善きものがつぎつぎと生み出されていったからです。
〝今日のみ言葉〟より引用。
福岡県の妻の実家に行った帰り、九州に向かって四国から長くのびている佐田岬半島を徳島に帰る途中、長距離の車の運転に疲れて少しだけ近辺の植物を調べてみようとしたのです。すると、このようなナルコユリとの出会いが与えられました。
もう数十年前に、北アルプスのふもとの地方にてナルコユリを見たことがありましたが、そのときはすでに花がほとんど終わっていた頃であったので、このようにちょうどすべての花が咲き揃っているのは初めて見たものです。 四国の西端の佐田岬から、わが家のある徳島県東部の小松島市まで、ほぼ300キロの道のりの途中を、すこしだけ車を降りて山道を歩いたときに、ちょうどこのような稀にしか出会わない野草との出会いが与えられたので、これは神が与えて下さったものと感謝したことです。
なお、アマドコロがよくこのナルコユリと間違えられ、花屋でアマドコロをナルコユリと名札を付けて販売されていることがあります。アマドコロは葉の幅が広く、草丈もせいぜい30~80cmほど、花は、1~2個ずつ付きます。ナルコユリは、高さは50cm~130cmほどにもなり、花も3~5個ほどの花を付けます。全体の感じもかなり違っています。花屋でよく見かけるのはアマドコロのほうです。
このような美しい花がいつ、いかにしてこの場所に育つようになったのか、もちろん誰も分かりません。多くの地味な花しか咲かせない植物たちのただなかにこのような特別に心を惹くような花が人知れず配置されていること、そこに神がこの見える世界の所々にアクセントをつけるように創造されていることを感じます。
私たちも、生活のなかで、さまざまの人に出会い、書物を通して過去のすぐれた人に接し、あるいは病気や困難な出来事にも遭遇しますが、そうしたことも神がなさる私たちへの一種のしるしであり、それを通して私たちはそれらすべてをなされる背後に神の愛の御手があることを知らされるのです。
〝今日のみ言葉〟より引用。
(写真・文ともT.YOSHIMURA)
