この植物は、徳島県南部の高知県境に近いところにある、2キロ余りも続く広大な海岸にて見出したものです。遠景の海は、太平洋です。月に一度の小集会のために訪問した帰りでの撮影です。この日は、久しぶりの青空のもと、誰一人いない美しい砂浜の広がるところに、今年初めて咲き始めたハマダイコンがあったのです。まだ春先なので20センチほどの高さで、花びらは淡い紅紫色の美しいものです。この植物は、海岸に力強く打ち寄せる波を見つめ、その波音に聞き入りながら花を咲かせている感じがしました。
海からの強い風を受けつつ、肥料もなく、夏には40度を越える高温の砂地であるにもかかわらず、たくましく育つこの野草は、花もまた美しいものです。野性の強さのなかに、繊細な花びらが印象的です。ほかのほとんどの野草たちはこうした厳しい環境では、育つどころか、芽生えることもできないのですが、このハマダイコンはそうした環境にも耐えて芽生え、育って花をつける力を与えられています。
人間においても、どのような困難な状況に置かれてもなお、たくましくその魂のなかに繊細なよきものが芽生え、育って花を咲かせることが見られます。無から有を生じさせる神にとっては、不可能なことはないからです。
現代の精神の荒野にあっても、私たちも神からの力を受け、たえず新たなよきものの芽生えと成長を与えられたいと願います。
〝今日のみ言葉〟より引用。
(写真・文ともT.YOSHIMURA)
このヒュウガミズキは、3月にこのような、黄色の花を咲かせます。高さは、2~3メートルほどの木です。木々の芽がまだ、ほとんど出ていないころ、この木自身、葉が出るまえに咲き始めるもので、同じなかまのトサミズキよりは、花の穂が小さく、落ち着いた感じのする花です。春の到来を告げるような初々しい黄緑がかった花で、新しい命の季節を告げているような雰囲気があります。
これはもともと宮崎県の日向地方で自生があるということから名前が付けられたものですが、近畿北部の福井、富山、岐阜などに多くみられるとのことです。
こうした春先に咲く花によって私たちは、春の到来を知らされ、いのちの芽吹く季節への希望を強められます。この世にはさまざまの問題があり希望のないような状況があちこちにみられますが、こうした人間よりはるか昔から存在して、変ることなく花を咲かせ続ける自然の姿は、私たちへのメッセージが込められているのです。
それは、それらを創造した神の無限の力、静けさのなかにあって、つねに新しいものを生み出される神に立ち返るようにとの呼びかけだと感じます。
〝今日のみ言葉〟より引用。
この樹木の花は、日本人に最も古くから、愛し続けられている花の一つだといわれています。これは園芸用として花壇や鉢植えとして広く用いられているのでよく知られています。しかし、野生の花に出会った人はそれほど多くないと思われます。この写真は徳島市から50kmほど南の山中に自生していたものです。海陽町での聖書の学びから帰途、車中からいろいろな木々に混じって咲いているのが見えたのでそこまで登って撮影したものです。
アセビはツツジの仲間ですが、道路によく植えられているヒラドツツジやヤマツツジ、ミツバツツジなどのように大きな花を開くのでなく、釣り鐘状の花を咲かせます。このような花は、ドウダンツツジ、ネジキなども同様です。
この花は、古くから愛好され、万葉集にも10首ほどあります。そのうちの一つをあげておきます。
礒影(いそかげ)の、見ゆる池水、照るまでに、咲ける馬酔木の、散らまく惜しも(第20巻 4513)
( 岩影が映っている池の水が照り輝くほどに咲いている馬酔木が散ってしまうのは惜しいことだ。) *「礒」とは、岩のこと。
アセビの花がなぜ、古来から日本人に愛されたのか、いろいろ理由はあると思われますが、まだ寒い3月ころに咲き始めるために、寒さの中での心を慰める花となったこと、緑や冬枯れのような木々のなかで、命に満ちた美しい花をたくさん咲かせることで、見る者に新たな励ましを与えるところがあったと思われます。
現代の私たちにとっても、このような野生の花を山にて見出すとき心惹かれるものがあります。上の写真で大写しになった一つ一つの花を見るとき、それらの一つ一つの花が心を込めて創造されたのを感じ、このような花を創造された神の御手とそのお心に引き寄せられる思いがします。
〝今日のみ言葉〟より引用。
