眠りとは

聖書の中から

〇「働く者の眠りは快い。満腹していても、飢えていても。金持ちは食べ飽きていて眠れない。」(コヘレト 5章11節)
〇「平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かにわたしをここに住まわせてくださるのです。」(詩編 4編9節)

「いのちの水」誌2000年1月号 〝嵐を静めるイエス〟より引用。

激しい嵐に飲み込まれそうになる小舟におけるイエスの眠りは、神とともにある平安の象徴として表されています。

 小舟が激しい嵐にもてあそばれ、今にも波に呑み込まれそうになっている、そのときには、激しい風の音、波の音、そして弟子たちの叫びうろたえる声が響き、舟自身も大きく揺れ動いていたのですから、そのようなところで、眠っていることなど、本来ありえないはずのことです。

 平安など本来ありえないような所にも、キリストは静かにそこにおられる、ほかのどんなものも共にいることはできないような特別な困難な状況、死が近いと思われるような状況のただなかであっても、イエスは私たちとともにいることができる。それは奇跡のようなことです。その奇跡を私たちに告げているのだと言えるのです。

 このような状況のもとでも静かに眠っている主イエスのことを書き記したこの福音書の著者(マタイ)は、常識では想像できないイエスの眠りということのなかに、表面だけの意味とは違った意味をこめていたというのがうかがえます。  いかに激しいこの世の動乱の状況のなかでも、主イエスはそこにおられる、平安をもってそこにおられる。弟子たちには気付かなかったけれども、恐れと不安のただなかですら、キリストは神の平安をもってともにいて下さるということをはっきりと示そうとしているのです。