深い青色を背景に、ヤマハゼの紅葉が心に沁みます。 澄み渡る青空も讃美、真っ赤な紅葉もまた讃美!
四国の山々で、秋の紅葉で目立つのはこのヤマハゼが多いのです。
常緑の木々や、褐色や黄色に色づいたクヌギやコナラ、イヌビワなどのなかで、真紅の木々が点在するのは、雄大なキャンバスに描かれた、神ご自身の絵画なのです。
サクラは木全体に花が咲きますが、秋のこのヤマハゼの紅葉は、あたかも木全体に赤い花が咲いたようです。
もし、山がこのような紅葉ばかりとか、緑一色とか褐色ばかりでは単調でしょうが、緑や褐色、また緑にもさまざまの色合いがあってそのなかでこのような紅葉はことに美しさを感じさせられます。
人間もこのようにさまざまの個性をそれぞれの場で発揮するように、神が創造されているのであって、そこに全体としてよきものが生れてくるのだと思われます。
〝今日のみ言葉〟より引用。
もともとのシュウメイギクは、紅紫色ですが、写真のように白色のものもあり、これは陽光を受けてその純白の花が心に語りかけてくるようです。私たちはこのような汚れないものを持っていないためにいっそうこのような白い花に惹かれるのです。
主イエスがご自分の最期が近づいたとき、弟子たちを伴って高い山に上って祈られたがそのとき、イエスの服は「真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。」(マルコ9:3)と、特にその白さが強調されています。
また、次の詩もまた、人間のうちなる汚れをどうにかして清め、真っ白な状態にして欲しいという切実な願いが込められています。
「…わたしの罪を払ってください。わたしが清くなるように。わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように。」(詩編 51:9)
私たちは、このような純白の花に接するとき、この詩の作者とともに、この花のように清め、白くしてください、という願いを新たにしつつ見るのです。
〝今日のみ言葉〟より引用。
リンドウは、秋の野山の代表的な野草の一つです。これは、山口県の鍾乳洞で有名な秋吉台での撮影で、九州から島根の集会へと移動の途中で、見いだしたものです。リンドウは、私にとって特別な思い出があります。
それは、大学2年の頃に、テントや燃料、雨具、食糧などの十分な装備をして、京都市北部の鞍馬山から歩きはじめ、ときには、地図上でも廃道とされている道なき道を5万分の1地図と磁石を頼りに、山なみを越えて、1週間近くかけて日本海側の小浜へと行ったことがありました。その時、由良川源流地帯で、このリンドウの深い青紫色に出会ったのでした。
長い単独の山行のゆえに緊張と疲れのたまった心身であったゆえに、そして一日歩いても誰一人と会わないような山奥であったので、私の心に生きた映像をそのまま焼き付けてくれるものとなりました。
青い色は、広大な大空や大海原など最も広く目にはいるものの色で、創造主はこの色に接することによって、いつもご自身の深い本性を見つめるようになされたのではないかと思われます。
水野源三の詩にも、次のように記されています。
来る年も来る年も 澄み渡る空には
りんどうの花が咲くように
神様の真実は変わらない
神様の真実は変わらない
天を映す青、それゆえにそのたたずまいとともにリンドウは多くの人の心に残ってきたと言えます。
今日のみ言葉〟より引用。
(写真・文ともT.YOSHIMURA)
