世界的にその名を広く知られているナイチンゲールの生きた時代以前には、看護師について強い偏見があった。それは、汚れたものを扱う仕事が多く、排泄物や傷口、手術あとの出血などで汚れたガーゼその他を扱うこともあり、上流の子弟は、看護師などにはいかないもの、という考え方が広く染み渡っていた。
そのような状況にあって、豊かな家の娘であったナイチンゲールは、1837年、16歳のときに、神の声を聞き、それは 私に仕えなさいーということだった。
その意味が何か、神に仕えるとは具体的にどういうことなのかも わからないままにナイチンゲールは成長した。そして 神に仕えるとは具体的にどういうことなのか、を、ずっと思いめぐらす歳月が流れ、家族など周囲の人たちが強く反対するなか、それは看護師という仕事なのだと確信するにいたった。そして クリミヤ戦争において、人間の働ける限界と思われるほどのわずかの睡眠時間で、戦争の病者、負傷者の救護に全身全霊を捧げた。
スイスのアンリデュナンは、自分自身も実際戦争による傷病者を救う体験が与えられ、さらにナイチンゲールの献身的なはたらきに大きな刺激を受け、そのことから生まれたのが、赤十字であった。
そうしたことからみても、ナイチンゲールが受けた神からの直接の語りかけの重要性が浮かび上がってくる。
神の声を聞く、神からの語りかけを受ける…等々は、それは特別な人のことであって、キリスト者であっても自分には関係ないと思い込んでいる人々は多い。
しかし、聖書に現れる人物は、ほとんどみな、このように、神からの語りかけを直接に聞きとったのであった。
聖書の最初に記されている、創世記のなかのアダムとエバたちー最初の夫婦であるが、彼らがすでに神からの語りかけを聞く人々であった。
そして、広く知られたノアも 神からの語りかけを受けて、大洪水によって多くが滅びさるただ中で、救いだされたのだった。
それ以後、信仰の父と言われ、イスラム教においてもコーランで、アブラハムは信仰の模範とされている。
そのアブラハムもまた、人生のあるときに突然神からの語りかけを聞いた。そしてそれが彼の生涯を貫く最重要な経験となったし、以後も語りかけてくる神の声を聞き取って歩む生活となった。
このように聖書とは、神からの語りかけを聞いた人の歩んだあと、またその語りかけそのものをも記してその重要性を指し示している。
そして現代においても、神は絶えず語りかけている。それは一人での祈りの中で、また主日礼拝のときの共同の祈りや御言葉の講話のなかで語りかけてこられる。 イエスは二人三人わが名によって集まるところに私はいるーと言われた。キリスト者の集り礼拝においては、それゆえに主イエスがそこにおられて、参加者の一人一人に語りかけているのである。
ともに主を仰ぎつつ集まるということの重要性はここにある。
聖書からのメッセージを語る人の言葉を通して、またそれとは別に共同の祈りのなかにおられる主イエスからの語りかけを受けるからである。
さらに、神の言葉を聞く、神からの語りかけを私たちが聞きとるために、神は目で見えるものを通しても語りかける道を備えてくださっている。
きわめて多数にわたる身近な草木、また動物、昆虫たちのすがた、また日々頭上に広がる青い大空、またそこに配されたさまざまの形や色合いの雲たちや、夜空に光る星々…光景そして、あるいは大空や山々など それらはまさに見えるかたちでの神からの語りかけ、私たちへのメッセージに満ちた存在なのである。
孤独になやみ、その状況がひどくなって生きていくこともできなくなる人々が相当数いるし、自分には語りかけてくれる人がいないし、また他者がなんとなく怖い、話しかけられない…といった人たちも多い。豊かさは、孤独の淋しさや苦しみを真に癒すことは決してできない。
そうした人間であるゆえの孤独の淋しさ、苦しさーこれは元気なときにはそんな孤独感などまったくないと言っている人たちも老齢となり家族も遠くに住んでいたり、また配偶者も死去…となり ただ一人で家でいることになり、しかも病身となったときの孤独は人間の精神を強く圧迫することになり、みずからの命を断つ人たちが多い。そのことは世界的にみても日本はずっと上位にある。
これはみな、神からの語りかけをまったく持たない、そうして活ける神を信じないーというところからくる。
ナイチンゲールの 若き日に神からの語りかけを聞いた、ということは歴史上のきわめて特殊な例だということでなく、すでに述べたように、神からの語りかけは、本来だれにでもなされているし、真剣に持続的に求めていくなら、誰でも受けることができる。
イエスの「求めよ、そうすれば与えられる」という単純な言葉は、底知れない深みをたたえた言葉なのである。

「いのちの水」誌2013年9月号〝アメージング・グレイス〟より引用
ジョン・ニュートンは、かつては、たくさんの奴隷たちをアメリカや西インド諸島に運んで行った奴隷船の船長だった。しかし、それは当時のイギリスでは社会的に多数が認めていたことであった。国会議員の多数が奴隷貿易と関わって利益を得ていたような状況だったのである。
そのような中で、奴隷制度やその貿易の悪魔性を見抜いて、それを誤りだということは、非常に勇気のいることであった。だれもが認めていることを悪だ、と洞察するのは、通常の学問や常識、経験ではできない。
奴隷制度にしても、いまから、200年も昔であって、それが当たり前のように考えられていたとき、ジョン・ニュートンがそれが悪だということを本当に知ったのは、周囲の人たちの意見とか奴隷たちの苦しみを見たとかいう経験でもなかった。いくら奴隷たちが悲惨な状況に置かれているかを数えきれないほど見てきたにもかかわらず、わからなかった。
彼がその悪をはっきりと知ったのは、上よりの啓示によってであった。
彼が22歳のとき、イギリスに帰る船で、彼は、たまたま時間つぶしに持参していた本の一つを手にとった。それは、トマス・ア・ケンピスの「キリストに倣いて」であった。何気なしに読んでいたが、ふと、そこに書かれてあることが真理なら、自分の今後はどうなるだろう、と考えるようになった。彼の当時の生活は、その本の内容とあまりにもかけ離れていて、そのままであれば自分は当然神からの裁きを受けるだろうという考えが頭をもたげ、それ以上考えることは止めた。
彼の乗った船が、激しい暴風に遭遇したのはちょうどその本を読んだ翌日だった。
その日のことを、後に書いた手紙型式の自伝では、「主の時」(The Lord’s Time)というタイトルで書いている。 大波とともに大量の水が驚くべき速さで船のなかに入り込み、沈没しかかっていた。甲板に出た船員が船に襲いかかった大波に飲まれて海中に沈んでいった。
しかし、悲しんでいる間もなかった。自分たちもそのように皆、船が沈むとともに海に呑みこまれると思ったからである。そこから助かったのは、まさに奇跡だ、と書いている。
このとき、仲間は船がもうだめだと思い、もう手遅れだ!と絶望的な声をあげた。そのようなとき、彼は、思わず「こうした努力がうまくいかないなら、主よ、私たちを憐れんでください!(Lord,have mercy on us!)」と言った。
ジョンは、長い年月にわたってこのような祈りと願いを口に出したことがなかったので、自分から出た言葉に打たれたのだ。それが、1748年の3月10日だった。この日以降、その日をすっかり忘れて過ごしたことは一度もないほどであった。
その日、いろいろと今までのことを思いにふけり、反省の時を与えられ、自分を振り返って自分ほどの罪人はいなかった、と思った。彼は、旧約聖書の箴言の次の言葉にも動かされた。
…私は呼んだが、あなたがたは聞くことを拒み、手を伸べたが、顧みる者はなく、
あなたがたは私のすべての忠告を無視し、 私の叱責を受け入れなかった。
それゆえ、私も、 あなたがたが災難に会うときに笑い、 あなたがたを恐怖が襲うとき、嘲けろう。(箴言1の24~26)
神はだれもが望むことのないような状況を用いて、かたくなな人間の魂を転換しようとされる。ジョン・ニュートンの場合もこのことがあてはまる。
彼は、航海での非常な苦難―もう生きられないと思われるほどの危機に直面したとき、神の手によって魂の目が開かれた。
………………………
「いのちの水」誌2007年2月号〝アメージング・グレイスー驚くべき神の恵み〟より引用
以下に歌詞の全体を、原文とともに引用する。
驚くべき恵み ーその響きはなんとうるわしいことかー
その恵みは私のような哀れな人間を救って下さった。
私はかつて、失われた者だった。しかし、今は(主によって)見出されている。
私はかつて(何が大切なことなのか、何が悪いことなのか)見えなかった。
しかし、今は、見ることができるようになった。
(一)Amazing Grace! How sweet the sound
That saved a wretch like me!
I once was lost, but now I’m found,
Was blind, but now I see.
(文 T.YOSHIMURA)

