聖書の中から
わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、」(1ペテロ1:3)
「わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。」(2コリント1の8~9)
「いのちの水」誌2015年3月号〝生きた希望〟より引用。
私たちが主イエスと結びつくとき、希望は実現しない空しいものでなく、生きた希望(living hope)となる。 (1ペテロ1の3より)
それはその希望を持っているだけで力を与えられる、その希望が私たちに働きかけるという意味で生きている希望といわれる。
信仰、希望、愛はいつまでも続くと言われている。そこで言われている希望も生きた希望であり、神の命が込められた不滅の希望だからいつまでも続く。
パウロももう死ぬかもしれないと厳しい試練のときには死を覚悟した。そこで復活させてくださる神を頼りとするようになった。生きる望みは失ったが、復活させてくださるという神への希望がますます生きて働くようになったのである。(2コリント1の8~9より)
主イエスと結びつくとさまざまのものが命を持って感じられてくる。
賛美を歌うことも、その賛美によって何か力づけられる、聖霊をより感じる―というようになる。それは生きた賛美―Living Praise となるからである。
(文 T.YOSHIMURA)