神様のわざとしての自然

これは私にとっては何度見ても見飽きることのない、吉野川の光景です。満ちみちた水量をたたえた川! 説明なしにこの写真を見る人は、川とは思えないのではないかとおもいます。確かに、私が今まで実際に見た、日本の北海道から九州のどの川よりも豊かな水量で、このような川幅1キロを越えるような川、海のようなゆたかさをたたえた川は見たことがありません。

何十年来、私は一週間に少なくとも一度は、この吉野川の堤防道路を通り、橋を渡っていますが、いつ通っても心を惹かれます。そして、河口近くであっても、水はきれいで、付近に大きな建物もなく、水と空と川岸の植物などが近づくものにかわらぬ賜物を与えてくれています。この川は、農業など産業にも重要なことはもちろんですが、周辺の人々の心にはかりしれない神様からの心のプレゼントを提供しつづけてきたのです。

吉野川は、西から東へと流れているため、朝は朝日が、この川の東のほうから上るのが見られるし、夕方には、夕日が、空を赤く染めつつ、川面にもその赤い夕日や空を映しつつ沈んでいくのは、心をひきつけてやまない光景であり、地上と大空にわたって描かれる神の雄大な絵画となります。

川の流れは、ほとんどだれの心にも何かほっとするものを与えるものです。水はうるおすもの、命に不可欠なものであり、その流れのすがたの美しさは心の栄養となります。 聖書においても、人間の究極的な魂のすがたは、そのいのちの水があふれだす状態だと書いています。

「私(イエス)を信じる者は、いのちの水が川となってあふれ出るようになる」(ヨハネ福音書7の38)

これは河口から5キロ近く上流での撮影です。右端のほうが上流で、ほぼまっすぐに西に80キロあまり上流にさかのぼると香川県と愛媛県に近い池田町に達します。

吉野川は、愛媛県と高知県境にそびえる瓶ケ森(かめがもり 標高1896m)付近から流れ出て、四国四県に本流、支流が流れている、四国最大の川で、194kmの長さを持っています。

左に一部見えるのは眉山で、その右、はるか後方にかすんで見えるのが、剣山へと連なる山なみで1000~1400メートル余りの標高があり、剣山に向かって次第に高くなっていきます。中央右寄りにうっすらと見えるのが、高越山(こうつさん、1133メートル)で、いずれも私が若いときに、何度となく、縦走したり、登った山々です。

遠くの山々、そしてこの写真のような川、それらは見るだけでも、変ることなく御国からのおとずれを私たちに送りつづけるものです。

〝今日のみ言葉〟より引用。

この美しいブルーの種をつける植物は、その葉が、幅は数ミリと細く、長さは10~20cm であるために、ジャノヒゲ(蛇のヒゲ)とか、リュウノヒゲという名前がついています。しかし、その名のイメージとは異なって、冬のさなかであっても、このような目の覚めるような青い色の種をその草陰に保っています。これは実のようにみえますが、種皮が脱落した種なのです。

 この植物は樹林帯の下草として目立たずにひっそりと育ち、この青色の宝石のような種も、繁った葉に隠れていることが多く、葉のなかにあるのを探して見つかることもあります。そのような目立たないものなので、実際に見たことがある人は最近では少ないと思われます。そのように控えめであるゆえに、この植物の種の美しさがいっそう感じられるのです。

 青い色は、澄み切った大空の色、そして深い海の色。私たちの目にするもので最も広大な天と、海がともに青い色であることは、暗示的です。これらは、その広大さのゆえに、地上ではどこにいても双方またはそのいずれかを目にすることができます。

 神はこの二つのものによって、私たちの狭くて汚れた心を、ご自分の広大で深いお心へと呼び寄せようとしているのです。

 この植物はしずかな樹林帯の下草にその青い色を秘めて私たちの注目を待っているかのようです。

〝今日のみ言葉〟より引用。

このカラタチバナという、小さな木は、もう20年ほども以前に、低い山で野生を見つけて、その種を採取して蒔いておいたら、このような株となって、毎年実をつけています。

私がこの植物を野生状態で見つけたのは、わずかにこの一度だけです。石川県などでは、群生しているところがあり、その写真も見たことがありますが、徳島県ではそのようなところはないようです。

 センリョウや、マンリョウは有名ですが、このカラタチバナはほとんど知られていないものです。しかし、晩秋から冬の花のほとんど見られない時期にこのように、冬中赤い実をつけて私たちの目を楽しませてくれます。

実をつけるというのは、なにか心なごむものがあります。その植物が成長し、花をつけ、そして結実するまでに場合によっては長い年月を要するものもあります。実をつけはじめると毎年実を結び続けます。そしてその実がまた新しい植物となって増えていきます。

 人間もこうしたよき実を結ぶことができるということが、聖書に記されています。

よくよくあなたがたに言っておく。

一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。

しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。 (新約聖書 ヨハネ福音書12:24)

今日のみ言葉〟より引用。

 

(写真・文ともT.YOSHIMURA)