希望とは

聖書の中から

〇「わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。」(詩編62の6)

〇「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(ローマ5の5)

「いのちの水」誌 2004月8月号 〝聖書に示された希望― 詩編よりより引用。

この短い言葉が、旧約聖書における希望の本質を表している。この言葉の前に、「あなた方はいつまで人に非難を浴びせ、傾いた石垣を倒そうとするように、一緒になって倒そうとするのか」という言葉がある。この詩の作者がこのように真剣に神を仰ぎ望み、神を待ち望むのは、この人の周囲に作者を滅ぼそうとする敵意に満ちた状況があったからである。

切実な希望はこうした苦しみや悲しみに打ち倒されそうになっているときに、輝き始める。

本来ならば、望みが消えてしまいそうなときにこそ、聖書における信仰者はその希望にどこまでもすがろうとする。

この箇所で「希望」と訳された原語は、「待つ、熱心に期待して待つ」といった意味がもとにある。この箇所のギリシャ語訳が、「忍耐 hupomone」と訳される言葉を用いていることも、この原語のニュアンスを補うものである。

どのようなことがあっても、神への信頼をやめない、苦しみのなかであっても、忍耐をもって神を待ち続ける心がここにある。

このような揺るがない希望、忍耐とむすびついて待ち望む姿勢は、旧約聖書のなかではとくに詩編にはっきりと見られる。詩編は具体的な地名や人名、時代、社会的状況などのことが分からなくとも、その直接的な言葉によって数千年を経た今日でも私たちの心に近く呼びかけるものとなっている。