聖書の中から
〇「ある主の日のこと、わたしは“霊”に満たされていたが、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。」(ヨハネの黙示録1章10節)
〇「盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。…しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。」(第一テサロニケ5章2、4節)
「いのちの水」誌2005年3月号〝復活祭(イースター)〟より引用。
キリストの復活が日曜日であったために、日曜日を「主の日」(黙示録一・10)として集まり、礼拝を捧げるようになったのです。
日曜日のことは、主日(しゅじつ)という言い方を用いています。日曜日の礼拝を主日礼拝というのはそのためです。
「いのちの水」誌2006年4月号〝復活の重要性について〟より引用。
復活ということがいかに世界全体において重要であるか、それは復活を記念する日が、主の日として毎週記念され、礼拝の日となり、それが現在の日曜日を休むという世界的な習慣として定着していったことにも現れている。
日本ではキリスト者はわずかに一%にも満たない少数派である。しかし、キリスト教の中心にある、キリストの復活の記念日と関わりのない人はだれもいない。知らず知らずのうちに、「キリストの復活」は、日本人全体の中に切り離すことができない状況となっているのである。
キリスト教が世界に伝わっていくそもそもの出発点は、イエスの単なる教えでなく、キリストの復活があったからであり、復活したキリストの別の現れである聖霊が注がれたからであった。
